top of page

川崎沖縄県人会のあゆみ

大正8年

沖縄から川崎の富士ガス紡績(現川崎競馬場)に男女工員が多数来る。

大正12年9月

関東大震災で沖縄県民が助け合う。

大正13年

川崎沖縄県人会発足(初代会長玉那覇有盛明治27年8月22日生早稲田大卒)

昭和20年

戦時中県人会で就職の世話や沖縄芸能で沖縄県民を励ます。

昭和21年

アメリカの占領下で渡航が認められ県人会の責任で実行してた。

昭和22年

川崎青少年会館で200名以上の新規就職者を招待して沖縄芸能を催し、記念品を配り激励した。

※県人会にて県民の相談や助け合い等を実施した。
※三線や舞踊も催した。

昭和25年5月

川崎沖縄芸能研究会結成(初代会長米須清仁、舞踊渡嘉敷盛良、音楽池宮喜輝)

昭和27年

川崎あけぼの婦人会結成(初代会長末吉美代)

昭和27年6月

金城時男氏奔走し、川崎婦人、老人の集いで、あけぼの婦人会が沖縄芸能を披露。市当局(文化係、古江亮仁)に沖縄芸能の素晴らしさを認識させるきっかけとなった。よって下記に繋がる。

昭和27年8月

川崎市より川崎沖縄芸能研究会が無形民俗文化財に指定される。

昭和29年2月

神奈川県からも無形民俗文化財に指定される。

昭和32年

あけぼの婦人会、廃品回収益金を似て沖縄の学童に学用品送る。

昭和35年3月

宮古台風災害救援活動を展開。川崎市議会中心で358万円を送る。

昭和35年10月

宮古台風見舞金に対する返礼として『石敢當』川崎市に送る。

(現在、川崎駅前に説明文入りで設置される)

昭和38年

南方同胞援護会、沖縄青少年川崎会館を建設(敷地川崎市提供、神奈川県86万円助成)

昭和38年6月

川崎沖縄県人会会館木造2階建て落成、(山口会長小橋川大工多額寄付)

※26畳の大広間で頻繁に三線、舞踊等の練習や催しを行う。

昭和42年6月

川崎沖縄県人会青年部結成(返還運動、スポーツ、レクレーション大会等、県人会活動を前進させる)

昭和47年5月

沖縄返還記念式典開催(市立産業文化会館にて)

昭和50年7月

沖縄海洋博覧会の寄付金活動

昭和55年10月

おきつる青少年会館落成祝賀会参加(鶴見沖縄県人会)

昭和56年5月

第11回沖縄県「京浜地区就職少年」激励の集い(産業文化会館)

平成6年3月

鉄筋コンクリート3階建 建設竣工(1階店舗2階ホール3階事務所及び会議室)
建設に当たり沖縄県、那覇市、神奈川県、川崎市、県人会員より多額の寄付金を頂く。

平成7年以降

約100入るホールにて新年会、総会、敬老会、忘年会等様々な行事を行う

市民祭り等に参加し沖縄物産や沖縄そば等の販売する

平成23年11月

第11回全国沖縄県人会交流会が、川崎日航ホテルにて川崎沖縄県人会の主催で行われる。

平成25年3月

ライブ「綾心~あやぐくる」を毎月第3土曜日に行う(現在隔月の第3日曜日開催)。三線、民謡、舞踊、太鼓、箏、笛、エイサー等の沖縄文化だけでなく、ロックやダンス、和太鼓など、様々な催しを開催。

平成25年5月

川崎沖縄県人会で、はいさい保育園を経営する。

平成26年4月

はいさい保育園が、川崎市の認定保育園に指定される。

平成26年5月

川崎沖縄県人会創立90周年の記念公演が開催される。

平成27年5月

サンピアン川崎大ホールにて、かりゆしフェスティバル初開催。

沖縄舞踊、沖縄ポップス、沖縄出身のお笑い芸人(M-1グランプリ準優勝のスリムクラブ)などの多様な演目により、大盛況を博す。

平成28年1月

法人運営ワンルームマンション「オリオンスター」完成。

平成28年6月

今回のかりゆしフェスティバルは、県人会の若手を中心となって開催された。様々な沖縄文化(芸能、民謡、音楽、お笑いなど)を発信した。

bottom of page